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よく読みにいかせていただいているブログがありまして、
時間があるときは、いつも楽しみにそのブログを訪問します。

なかなか読みにいけないので、
訪問するとすでにいくつか記事がアップされていて、
まとめて読ませていただきます。

ある日、はたと気がつきました。
その方が毎日ブログを更新されていることを。
それも、毎日の記事が、心に染み渡る、
ほんとうに素敵な内容なんです。
素晴らしいなあと思いました。

何かを毎日続けることって、
なかなかむつかしいですよね。

やればいいとわかっていることでも、
疲れていたり、多忙だったりすると、
時間がないし、とか、今日はちょっと気持ちが、とか
そんな言い訳を自分にして。(。-_-。)

春日大社の元宮司の葉室さんの本に書かれていたのですが、
春日大社では年間九百のお祭りが行われるのだそうです。
(一日、二回か三回お祭りしているということですね(@_@))

神社には日曜というものもありませんから、
日曜だから休もうとか、雨だから止めようとかいっさいなく、
神戸の震災で神社がくずれた朝にも、
お日供というお祭りを奉仕しているそうです。

お日供というのは、
朝御食(みけ)夕御食(みけ)を神さまに差し上げる儀式で、
これは絶対に欠かしたことがなく、
今日は震災でつぶれたから朝ごはんは抜きになるとか、
そういうことは絶対になく(笑)、
なにがあってもお日供のお祭りはするのだそうです。

葉室さんは、ここに日本人のすばらしさがあるとおっしゃいます。
日本人のすばらしさというのは、続けるということだと。

日本人というのは言いわけをしない。
今日は雨だからやめておこうとか、今日は日曜だから
やめておこうとか、今日はちょっと風邪をひいたから
やめておこうとか、こういうことはやらない。

一筋に続ける、そこに神の本当のお恵みが現れてくる
のではないか、とおっしゃっています。
(春日大社でのお祭りの数々は、八百年という長い歳月、
 一日も欠かさず続けられているんですね。)

なにしろ神さまは年中働いていらっしゃる、
だから当然、神社も一年中やっている、
ここに日本人の自信というものがあると思うんですね
と、おっしゃっています。

この話を読んだとき、
背筋がこれ以上ないくらい伸びる気持ちでした。

私は、毎朝の瞑想を日課にしているのですが、
前日の仕事がハードでとても疲れていたりすると、
なかなか朝が起きられなくて、
昨日ハードだったから今日はいいよね、
と自分をあまやかしてしまう日がありました。

瞑想は、明け方にします。
瞑想にもっとも適した時間帯だからです。
その時に、ご神託も一緒に受けます。
自分自身の瞑想と、神さまに繋がらせていただく瞑想と、
ご神託を受けて自動書記していく、祝詞をお唱えする、
これで、だいたいいつも一時間以上一時間半くらいかかります。

今までは、今日は時間がないからプチ瞑想とか、
今日は時間がないからご神託はまた今度とか、
自分をあまやかしてきました。

これを、言いわけをせず毎日やっていこうと決めました。
現在実行中です。

続けます。
続ける先に、なにかがわかってくるのではないかと思っています。

また、自分自身がより精妙になって、
よりよいセッション、よりよい水晶のリーディングをしていけるように
なっていきたいと思っています。


  *  *  *  *

16日の夜、竹富島、小浜島の上空で、
幸せを招くといわれている月虹が見られたそうです。
(写真は石垣島天文台サイトよりお借りしました)
なんと美しいのでしょう♪

月虹は、ハワイでは「ムーンボー」「ナイトレインボー」と呼ばれ、
「幸せを招く」「願いがかなえられる」といわれているそうですよ。
皆さんに幸せが訪れますように☆
願いがかなえられますように♪
あ、私も(*^_^*)

月虹





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先日、欲しかった本を買いに、本屋へ出向きました。

本を三冊、購入してきました。 
平成6年から平成20年まで春日大社の宮司に就任されていた、葉室賴昭さんの本と、宗教学者、哲学者である鎌田東二さんの本です。


 9月18日本



最近は、数冊の本を同時並行で読むので、栞も買ってきました。
栞がかわいいと、本を読むのもテンション上がるのです。合格


 9月18日栞



葉室さんの本は、すばらしいです。
すべての日本人に読んでいただきたいくらい。
またできればこちらでも紹介していきたいと思います。

鎌田さんの本は、最初全く購入する予定はなかったのです。
葉室さんの本を買おうと本屋に赴いたのですが、目的の本棚の前に立つと一番に私の目に飛び込んできて(まさに、飛び込んできたのです!)、気になり手に取って読んでみたら、これがとてもよかったので買ってきました。

今日は、鎌田さんの本より、「神=カミ」と「仏=ホトケ」の原理的違いという項を、ご紹介します。


カミは在るモノ ホトケは成る者
カミは来るモノ ホトケは往く者
カミは立つモノ ホトケは座る者

まず、第一に、カミとは「在るモノ」であるのに対して、仏は「成る者」であるという違いから吟味してみよう。

カミとは自然界や霊的世界の「神聖エネルギー」ともいえる、存在そのものの諸種の「神聖フォルダ」の威力を根本とした総称であるのに対して、ホトケはある人間が厳しい修行の果てに悟りを開いてホトケと成った者であるという違いがある。
つまり、カミは存在の力動、ホトケは知恵の成就者という根本的な違いがあるのである。

次に、第二に、カミは「来るモノ」であるのに対して、ホトケは「往く者」であるという違い。
カミは、人間の祈りや祭りに感応して、その場に立ち現れて来る霊的神聖存在であるのに対して、ホトケは、迷いと苦悩の俗世間すなわち此岸を離れて、悟りの世界である彼岸へ渡って往く者であるという違いがある。
来るベクトルと往くベクトルの対照的な差異。

春日大社の「おん祭」においても、申請なる祭りの庭にカミをお呼びし(ワザヲギという)、そこにカミはやって来た(と思念される)。
それに対して、ホトケの本質は、根本的にこの煩悩の世界(俗世間)から出離し(出世間)、煩悩なニルヴァーナ(涅槃)の世界や極楽浄土に赴くことをめざしている。

仏教的な観点から言えば、カミとは人間世界の煩悩そのものの中に現れる、煩悩の一側面・一時的解決者であり、ホトケがその煩悩の本質的・永続的解決者=解脱者ということになるだろう。

第三に、カミは「立つモノ」であるのに対して、ホトケは「座る者」という違い。
日本語でカミガミを数える数詞は「ハシラ(柱)」と言うが、ホトケを数える数詞は「ザ(座)」と言う。

つまり、カミガミは柱のように立ち現れる神霊であるのに対して、ホトケは悟りを開くために座禅をし瞑想をして坐る者であるという違い。

たとえば、諏訪の御柱祭りや伊勢神宮の心の御柱や出雲大社の忌柱に対して、東南アジアによく見られる寝釈迦像や奈良の大仏や鎌倉の大仏の座像などは、立ち現れる神々のちはやぶる凄まじいエネルギーと、涅槃寂静に静かに座す仏陀の不動の精神との鮮やかな対照性を示している。

とはいえ、時代が下ると仏教の影響であろう、カミの呼び方も「一座、二座」というように「座」と呼ぶこともあった。
実際、平安時代初期にまとめられた儀式書である延喜式神名帳では、神々の総数は「三千百三十二座」と記されているし、また各地に「宮座」などの呼び方もある。

とはいえ、カミとホトケが、まず上記のような原理的違いを以て成立してきたことをはっきりと認識しておこう。
しかし、これほど明白な原理的違いを持つカミとホトケがわが国においては交じり合い、「神仏習合」していった。
そのことを本書では「神と仏の出逢う国」としてとらえ、その原因、成り立ち、習合過程とその特性を見てみようと思う。








昨日に続き、こちらも、共感する記事からのシェアです。

「スピリチュアリズムを語る」江原さんの言葉より

   *   *   *   *

私自身は、運が悪いときは自分を見つめるチャンスだと思っています。
自分の実力以上のいいことは起きません。
それと同じように、忍耐の限界以上の悪いことも起きません。

運が悪いと感じるときは、自分が以前に蒔いた悪しき種を刈り取っているということ。
たとえるなら借金の返済と一緒で、「返済の日が来る」だけ。
払う必要があるものは返さないといけないということです。

逆に幸運期は、ボーナスが出るときのイメージに近いかもしれません。
良いカルマを積んできた結果として返ってくる” ご褒美 ” のようなもの。
しかし、そこで有頂天にはならず、生き金ならぬ「生き運」で使いなさいといいたいのです。

私自身は占いをどう受け止めているかといえば、カルマと波長を大事に考えています。
波長、つまり心のあり方が正しければ自然といいほうを選び、歪んでいればどうしても悪いほうを選んでしまうのです。

しかし、不運と思えるときに、自らの波長の低さや心の歪みがあぶり絵のように浮き出るのであれば、それはむしろ悪いことではないでしょう。

幸運、不運というのは、結局は現世の尺度でしかありません。
スピリチュアルな視点では逆になります。
現世的にいう「不運」も、そこで苦難を味わってたましいが磨かれるなら、「幸い」なのです。

「せっかく来たからには、いっぱい経験と感動をしたほうがいい。来世に持ち越したくない」というくらいの思いが真摯な生き方に結びつきます。

とすると、膿はみな出し切ったほうがいいのです。
それで災いがあるというなら、トコトン来ればいいと言えるのがスピリチュアリスト。
胸を張って、ドンと構えて、「じゃあ無残な死に方でもしましょうか」くらいのことが言えたら本物です。


 江原啓之さんの記事より









多忙続きで読書からしばらく遠ざかっていましたが、最近読んだ「あるヨギの自叙伝」があまりに素晴らしかったので、また本好きに火がついて、読書三昧をしている今日この頃です。

今、一番はまっているのは本山博さんの本です。
次々に購入して、読みふけっています。(た~くさん、あります)
自分自身が瞑想するときやお祈りをするとき、またセッションやリーディングで見えてくるもの聞こえてくるメッセージなどについて、本山先生の本を読んでいて、なるほどこういうことだったのかと、夢から覚めるように、からくりが見えてきてとても参考になります。

本山先生の本から、祈りやカルマについてブログにシェアしようと思ったのですが、ちょっと癖があって万人の方にはわかりにくいかと思い、、、

本山博
本山博著 霊的成長と悟り 目次


代わりに、江原啓之さんの本から「祈り」ついてよい記事があったので、こちらをシェアしたいと思います。

いずれまた、本山先生のご著書からも、シェアしていきたいと思っています。

   *   *   *   *   *

『祈りと念力は違うものですか?』

人生において、一番大事なのは「祈り」と「念力」です。
みなさんは、毎日祈っていますか? 
ただ、ここでいう祈りとは、特定の宗教や偶像に向けて祈るという意味ではありません。

スピリチュアリズムでは、ひとりひとりの中に「神」が内在しているととらえています。
誰もが、崇高なエナジーである神の「未熟な一部分」としてこの世に生まれ、たましいを磨いている存在なのです。

ですから、一番身近なところに、「あなた自身」という神がいる、ということ。
そして、祈りとは、その「自分自身」という神を見つめること、つまり、内観するということをいうのです。
自分という神を通して、自分を映しみて、自らの未熟さや磨き足りないところに気づいていくことが、祈りの実践です。

単に、何か願い事があって、それを「かなえてください」と念じるのが祈りなのではありません。
自らを省みて、 "内なる神 ” と対話することが大切なのです。

祈るというのは重要で、念力もそこから出てくるのです。
祈り続けることができたなら答えが出てくるし、必ず必要な方向に導かれます。

自分はスピリチュアルなことを頭では理解するのだけれど心のうちではまだわからない、という人もいっぱいいますが、そういう人に私がアドバイスしたいのは、「毎日祈りなさい」ということ。

そして、そこで何を祈るかといったら、自分自身が生きている中でさまざまなことへの感謝、自分はどうしたら人や社会や世界平和に貢献できるかということ。

そういったことを内観し、祈り続けていくと、必ず答えがやってきます。
また、自分自身の欠点や問題点も祈りなさい、何かつまづいて悩んだら、悩んだことを祈りなさい、とも言っています。

祈りは、日常生活の中でも自分の心を知る大きな秤になると思います。
たとえば自分が、本当にこれが好きなのかわからない。
あるいは自分が何をしていいかわからない。
そういうときには祈り続けてみればいいのです。
もし祈りが続かなければ、本当はそれをしたくないという回答なのです。
本心から望むことであれば、祈り続けられたからです。

私自身は「祈り」という言葉はあまり使わず、「内観」と言います。
繰り返しになりますが、祈りは内観につながります。
最初は依存心が強くて「何とかしてください」という祈りかもしれません。
しかし、「何とかしてください」では、そこに行動がありません。
やがて「私はどうするべきでしょうか」という祈りに気づき、祈り続ければ「こうするべきなのだろう」というアイデアが現実的に見えてきます。

そういう導きを体験すると、誰もが確信して、人間は霊的な存在なのだな、大きな力に見守られているなということをたましいで実感するでしょう。
祈ったことには必ず結論が出るからです。

日本では「拝み屋」という言葉があるぐらいで、誰かに代わりに祈ってもらおうとする傾向があります。
手伝ってもらおうというのでもなく、はなから人任せで、自分は祈らなかったりするのでは、意味を成しません。
自分自身と対話し、自らのなかから答えを求めないことには、真の理解はまず得られないでしょう。
 
マザー・テレサも何かのたびに必ず「祈りましょう」と言っていました。
何か困ったことがあっても、祈れば答えが出ます、祈って出た結果は受け入れましょう、と。
それを、「必ず神様が何とかしてくださるから」と話していました。

繰り返しになりますが、祈りとは自分自身に問いかけ、実践すること。
決して、神頼みをすることでも、依存することでもありません。
そう考えると、今の時代は、祈りというもののとらえ方が違っているのが一番の問題かもしれません。

まず、自分を見つめるという祈りがない。
朝から晩まで忙しくしていて、あとの時間は気絶して寝ているだけで、それでは静寂を持つ時間、自分と向き合う時間など持てないはずです。
そして、祈らないから念力も生まれない。
それゆえに、道が定まらずに迷ったり、思うように物事が進まないのではないかと私はみています。

  江原啓之 「スピリチュアリズムを語る」より






7月18日海の日、ある教会にて片柳弘史神父さまによるマザー・テレサのお話を聞きに行ってまいりました。

神父さまの愛とユーモアあふれるお話と、マザーの大きな愛とお人柄に触れて、二時間があっという間に過ぎました。
心が澄み渡り、私の心にマザーの愛がいっぱいに広がりました。
マザーのお写真もいただき、うれしくて、帰って早速飾りました。

私は小さい頃からちょっと面倒な子だったようで、両親からことある事に悪い子だ困った子だと言われ、体罰もあり、親の愛を感じられず育ちました。

親の言葉の擦り込みというのは子どもにはほんとうに大きく強く影響するもので、私は自分がとても悪い子なんだと思い込んでいました。


私が10歳の頃、自分にとっての第一次スピリチュアルショック(!)が次々に起こりました。
まず、母が買ってきた「ああ無情(レ・ミゼラブル)」の小説の、ミリエル司教との出会い。

ミリエル司教が登場するお話のページに心打たれ、何度も何度も読み、こんな大きな愛がこの世にあるのかと、悪い子の私でもイエスさまの愛は許してくださるのかと、言葉に表せない懐かしい心の故郷に帰ったかのような感覚に、まだ少女だった私の心は、とても癒されました。

ある日学校から帰ると、母が、家に尋ねてきた宗教団体の人から、イエスさまについて書かれた小さな本を私に買ってくれていました。
私はうれしくて、今でも覚えているそのきれいなピンク色の小さな本を毎日読んでいました。

そして次に、なぜか、どこで買って来たのか、母が誰かからもらってきたのか、私の家に、きれいなシスターのお人形がやってきました。
このお人形は私の大のお気に入りになり、そのお人形を見ては、私はいつかシスターになりたい、と本気で思っていました。

それから、ちょうどその頃、映画「ベン・ハー」を見て、これはもう知恵熱でそうなくらい感動して、私のハートはビッグバンを起こしました。(笑)

それで私は、自分の穢れた心がきれいになるようにと、町にあったある教会に行き、「お祈りにこさせてください」とお願いしました。
子どもが親に相談もなく教会を訪ねて、お願いをしたのですが、そんな私を教会はあたたかく迎え入れてくださり、その土地を引っ越しで離れる少し前まで、日曜のミサに参加させてもらいました。
その頃の愛読書は、聖書でした。
毎日聖書を読んでいる時間が、少女の私の至福の時間でした。

ちょっと不思議なのは、私は母に愛されていると感じたことがなかったのですが、この私の至福の愛の時間は、その母によって次々に縁を与えられたということです。


そんな私ですが、20代、30代の頃には仏教にご縁があり、毎日一心にお念仏を唱えていました。
そして今は、日本の神さまに護られ導かれている日々です。
今生は、過去世でやった宗教の総決算をしているようです。


いずれにしても、人は弱いものです。
つらいこと、悲しいこと、たくさんあります。
愛がほしくてたまらないのに、両親からさえその愛が得られなかったり。
恋人との愛も、いつしか冷めたり、夫婦の愛もいつしか消えてしまったり。

人生、なかなか順風満帆には帆を進めさせてくれないのが世の常ですが、何があってもどんな時も、神さまや御仏は決して私たちを見放したりはせずに、いつもその愛のなかに抱(いだ)きとめてくださっています。

その大いなる存在の愛のなかにいることを忘れずにしっかりと前を向いていれば、いつか必ず内なる愛と平和に満たされるのだと思います。



教会からの帰り、気持ちのいい青空でした。
梅雨明けの日となりました。

 国道1号



帰りに寄ったお店で、かわいい香立てを買いました♡

 香立て





   *・゜゜・*:.:*・゜゜・*:.:*・゜゜・*:.:*・゜゜・*:.:**・゜゜・*:.:*゜゜・*:.:*・゜゜・*


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「曇りなく高天原に出でし月八百万代の鏡なりけり」


 満月



満月は明日7月20日の午前7時57分となっていますので、実際の月の光は今夜が最高にパワーがあります。

水晶の浄化などは、明日ではなく今夜のうちにしておくのがベストですよ。

水晶だけでなく、今宵の月で、自分自身も身心浄化しましょう。(*^_^*)
(何をおいても、それがいちばんかも(^-^;


素敵な詩をご紹介させていただきますね。

「天地をつなぐ物語」

彼方人の住まいたる 高天原のある揚所は
人の目には見えねども いつでもそばに存在す
太古の時代 人々は 届く光を感じてた
その地の玉水受け取り 心の泉を満たしてた
忘れ去られて那由他 不可思議 幾年過ぎた
物語を始めよう 再び始まる物語
お伽話とみまごうほどの美しき
天地をつなぐ物語 それはあなたの物語

すべての記憶は遠のいて 風と共に去っていき
光のかけらも見つからず 孤独の闇に襲われる
時代は現世 人々は 神話の日々を夢とした
瞳の奥に涙ため 戻れぬふるさと映し出す
忘れ去られて那由他 不可思講 幾年過ぎた
物語を始めよう 再び始まる物語
お伽話とみまごうほどの美しき
天地をつなぐ物語 それはあなたの物語

天のお舟に乗り込んで つま弾く指を携えて
銀河に響くメロディーを 奏でるために旅立った
時代は来世 人々は 琴に玉水はじかせて
七色橋より滴り落ちる 光し羽衣 胸宿す
忘れ去られて那由他 不可思議 幾年過ぎた
物語を始めよう 再び始まる物語
お伽話とみまごうほどの美しき
天地をつなぐ物語 それはあなたの物語
天地をつなぐ物語 それはあなたの物語

  日木流奈




   *・゜゜・*:.:*・゜゜・*:.:*・゜゜・*:.:*・゜゜・*:.:**・゜゜・*:.:*゜゜・*:.:*・゜゜・*


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今日は七夕ですね。
こちらは良いお天気です晴れ

素敵な七夕の夜になりますように。
皆さまのお願いごとがかないますように流れ星

ツインフレームの記事、続きです。
前回の記事は ⇒ こちら

  *  *  *  *

『私たちは、七夕伝説が、時空を超えてやって来る時代を生きている』

七夕と云えば、琴座星系のヴェガと、
鷲座星系のアルタイルを、それぞれ、
織姫と彦星の夫婦に当てはめて、
1年に一度だけ出会うことが出来るというお話があります。

これは、地球物質界から見て、
天の川の対岸に、ヴェガとアルタイルが、
最も近づいて見えるのが、1年のうちで、
7月7日であることにヒントを得た創作話です。

ただ、創作話と云えども、創作として
インスパイア(霊感)を受けたものの根源には、
必ず、そのルーツとなる出来事があります。

人が想像し得るものは、おおよそ、
多次元領域宇宙の何処かに存在しています。

その、七夕伝説のルーツとなる出来事とは、
「ツインフレームの結びつき」を表す出来事でした。

宇宙の過去の時間空間軸では、
それこそ、宇宙戦争の歴史と云えるほど、
戦争状態に明け暮れた日々の連続でした。

そのようなときに、最も忘れてはいけないものとして、
「魂の結びつき」を、いつでも、心に刻み込みつつ、
暮らし続けていました。

宇宙では、必ず、ツインフレームの存在があり、
誰でもが、強固な結びつきの魂のペアを有しています。

過酷な宇宙戦争の最中では、ツインフレームが、
離ればなれとなってしまうときもあります。

これを、引き裂こう、引き裂こうとしていたものが、
悪性のネガティヴ・エネルギーです。

ネガティヴ(闇)側が、引き裂こうとしたのには、
やはり、理由がありました。

ツインフレームが、身近で、完全に繋がりを持ったときには、
光のパワーが、完全無欠で、最大最強となるからです。

ここに、いかなる悪性のネガティヴ・エネルギーも
介入することは出来ないのです。

ネガティヴ(闇)側は、これを非常に怖れました。

この、ツインフレームのペアの間には、
宇宙の法則の名のもとに、完全調和がもたらされます。

つまり、おとぎ話的なラスト・シーンにあるような、

“ヒーローとヒロインは、様々な困難や試練を乗り越えて、
無事に結ばれて、ハッピーエンドを迎えましたとさ”

という、物語の最終段階に当たります。

私たちのいま・この時期で云えば、

“地球物質界の締め括りのときに、
すべての二元性を完成させるために、
魂のペアであるツインフレームと出会って、
新しい時代へと向かった。”

ということになります。

この七夕伝説は、数霊を紐解くことで、
そこに、答えが導き出されます。

七夕を数値化しますと「119」、
織姫を数値化しますと「111」、
彦星を数値化しますと「119」、
となります。

数霊「119」は“天上界によって導かれる”、
数霊「111」は“天と地を結ぶ天浮橋(あめのうきはし)”
をそれぞれ表しています。

これを、七夕の日に当てはめたのは、
数霊「77」が“喜びの道”を表しているからです。

つまり、七夕伝説の根源にある
ツインフレームの結びつきの鍵は、

“双子魂が相互に響き合い 出逢うための道しるべは
天上界と地球物質界とを結ぶ天浮橋と成りて 橋渡しとする
それは 天上界によって導かれ 成就する

これは あらゆる幸福へと向かう 喜びの道の始まりなり”


度々申し上げますが、これは、老若男女問わずです。

それは、地球物質界に居るうちか、あるいは、
地球内部世界「アガルタ」入りしてからか、もしくは、
「弥勒の世」へ入る前の、何処かの待機領域であるか…

これは、どのような過程を迎えて進んでゆくのかは、
人それぞれで、個人差がありますが、
それまでの人生生活では摩訶不思議としか想えないような、
現実的人生生活の上で起こって来る、紛れもない真実のドラマです。

それは、あなたの元にも起こります。

そのためには、光のネットワークに繋がってくださいね、
とお伝えしています。

これは、いま・この時期の、
地球物質界の締め括りの時期に設定された、
天上界からの神仕組みです。

これを、体現するためには、
直観と閃きとを最大限に働かせて、何処まで、
想像力をたくましく出来るかに掛かっています。

古今東西、あらゆる神話や伝説、おとぎ話が現実化する世界、
それが、多次元領域宇宙へと突入する銀河系宇宙時代、
前代未聞の新しい世界「弥勒の世」です。


「シリウス文明がやってくる」より

   




七夕に向けてツインフレームの記事、続きです。
前回の記事は ⇒ こちら

  *  *  *  *

地球物質界は、二元性の世界です。

あれは善くない、これは善くないと、
選り好みをする方もいらっしゃるかもしれませんが、
地球物質界にあるものはすべて、地球人類にとって、
必要があって与えられているものです。

ですから、「この世界」で生きるのに、
善くも悪くも、必要なものが、目の前に用意されています。

嫌いなものを、無理に取り入れる必要はありませんが、
必要性がなければ、どのようなものであっても、
地球物質界には存在していません。

いま・この時期からは、不必要なものが、
段々と、姿を消してゆきます。

これらの二元性の最終形、
二元性の総決算として、最後に出現するのが、
ツインフレームという存在です。

つまり、最後に、本当の、本物の愛情関係を築いて、
地球物質界を突破してゆきましょう、という神仕組みが、
地球物質界の終焉に設けられています。


ツインフレームと出会わなければ、
「弥勒の世」の世界へは入れないということではなく、
光のネットワークに繋がっていなければ、
新しい世界へは入れません。

「弥勒の世」の世界へ入ってから、
ツインフレームと出会う方も多くいらっしゃいますが、
そのタイミングには、個人差があります。

すでに、結婚をされていて、長く共同生活をされている方は、
いま・この時期に、魂の結びつきが強化されるか、
あるいは、離婚という形を余儀なくされ、相互に、
新たなツインフレームとなるべき相手と出会う、
ということが起きてきます。

後者は、意識と周波数における、
著しく異なる違いから起きてきます。

ツインフレームは、魂の結婚ですが、
これが、具体的に、どのような感覚があるのかと云えば、
自分自身と相手との、DNAの連結が起きます。

「内なる声」は、自分自身のDNAに、
アクセスを行なうことで聴こえて来る声ですが、
ツインフレームと結ばれる、自分自身のDNAから、
相手の人のDNAに直接に繋がります。

このとき、ツインフレーム同士の生活リズム、
睡眠サイクルなどが連動して、
同じ時間帯を生きるように設定されてゆきます。

シンクロニシティ(共時性)が、日常生活の中で、
完全に一致して来るという関係性となります。

この関係性では、嘘が通用しない、隠し事が出来ない、
完全に筒抜け状態となりますが、そうする必要もないほど、
相互が、明け透けに付き合える状態であると云えます。

自分自身の、もうひとりの分身であるとも云えるでしょう。

ツインフレームと出会うことは、
自分自身の足りない部分を補うことではなく、
完璧な魂同士が出会いを果たして、
自分自身を無敵にすることです。

ツインフレームは、完全なる運命共同体です。


これまで、たったひとりで、もがき苦しんで、
悩んでいた方も多くいらっしゃるでしょう。

ですが、運命は、ひとりで変えるものではなく、
「必ず、手を差し伸べる誰かが現れる」
ということを知っておいて頂きたいと想います。

何らかの困難や試練を突破しようとするときに、
その究極の場面に到達しますと、必ず、
志を同じくした仲間が現れます。

それは、意外な形で、目の前に現れて、
堅固な突破口を開いてゆくでしょう。


「シリウス文明がやってくる」より

   明日に続きます。







ぴあのサファイア

Author:ぴあのサファイア

水晶、女神、天使と交流します。すべてのいのちとの調和を望みます。天の光と、私たちに内在する光の意識が呼応し、響きあい、この地上が光の世界となりますように。


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