2009/02/06 00:00:00
ここのところ暖かい日が続いています。
おなもみは、日曜に薬師如来の持仏をいただいてから、それはそれはその仏様を
大切にして、ずっと肌身離しません。まさに、持仏。
何もしていないときは、仏様を手に持ち、ずーーーっと、眺めています。
ほんとうに、ずーーーーっと です。
延々、じーーーーっと眺めています。
ハタから見ると、かなりヤバイ子供のように見えるかもです。
寝るときも一緒。
学校へ行く前は、「ほとけさま、行ってきます」 と言って、手で仏様をなでてから出かけます。
今日、学校から帰ってきて、また仏様と手に持ち、じーーっと眺めているおなもみに、
「いつも何を考えながら見てるの?」 と聞いてみました。
おなもみ、「別に、何も考えてないよ。頭まっしろ」
私、「ふ~~~ん、まっしろなの?」
お、「うん」
お、「これ、すごい仏師さんが彫ったのかな」
私、「そう思うの?」
お、「だっておなもみ、これ、すごいなーって思うもん」
私、「そう~~、気に入ってるのね」
お、「うん☆」
そしてまた、仏様を、じ~~~~~。
ほんとうに、その気に入りようは半端ではありません。
仏様、いただくことができてよかったです。
仏様も、喜んでくださっているでしょうか。
おなもみが欲しがらなかったら、この仏様はずっとお寺の本堂で箱にしまわれたまま
いらっしゃったのでしょうか・・・
そんなことを考えると、なんだか不思議なご縁も、感じます。
なぜお寺の方は、売り物にはできない と思っていらっしゃったのに、見本をガラス
ケースに置いておかれたのでしょうか。
「これをください」 と言った時に、「もう古くて湿気のせいで蓋が開かないし、古びて
いるし」 と開口一番おっしゃったということは、その仏様がそういう状態だということを
ご存知でいらしたということ。
確かに、蓋は一度閉めると開けにくく、お寺でいただいた直後、おなもみが閉めた時
に蓋が開かなくなってしまい、うんともすんとも言わない(?)状態になりました。
「かしてごらん」 とチャレンジした私も、どうやっても開けられません。
「帰っておとうさんに開けてもらおう」 と、あとはタリバン頼み。
風邪ひきでお布団で寝ていたタリバンに、「あけて~~~」 と持っていきました。
さすが男の人ですね、タリバンが何度か蓋を回していたら、蓋が回り始め、開きました。
大の男の人が、相当な力を入れてやっと開いた蓋。
なぜ、あの本堂では、あっけなくあっさり開いたのでしょうか・・・
(「開きますよ、ほら」 と難なく蓋を開けた方は、ご老人というには失礼かもしれませんが、
お見かけ初老くらい、力もちには程遠そうな見た目も佇まいも繊細な方)
あの時蓋が開かなかったら、この仏様をいただくことはなかったでしょうね。
それを思うと、また不思議にも思えます。
ほんとうに、こういうのをご縁というのでしょうか。
今は、蓋は、ぎゅっと締めないよう、軽く合わせるだけにしています。
そのうちおなもみが、番いの部分を、きれいに蓋が閉まるようになおすと言っています。
ありがたいご縁でうちに来ていただいた仏様。
おなもみがそのご縁を真底喜び心通わせている仏様。
この仏様をいただくにあたってのすべての流れ、その日の出会いとその時の空間
だけではない、そこに至るまでの見えない次元でのお引き合わせにも、心静かに
深く感謝をしている私です。
いのちの島=屋久島は >>こちら
おなもみは、日曜に薬師如来の持仏をいただいてから、それはそれはその仏様を
大切にして、ずっと肌身離しません。まさに、持仏。
何もしていないときは、仏様を手に持ち、ずーーーっと、眺めています。
ほんとうに、ずーーーーっと です。
延々、じーーーーっと眺めています。
ハタから見ると、かなりヤバイ子供のように見えるかもです。
寝るときも一緒。
学校へ行く前は、「ほとけさま、行ってきます」 と言って、手で仏様をなでてから出かけます。
今日、学校から帰ってきて、また仏様と手に持ち、じーーっと眺めているおなもみに、
「いつも何を考えながら見てるの?」 と聞いてみました。
おなもみ、「別に、何も考えてないよ。頭まっしろ」
私、「ふ~~~ん、まっしろなの?」
お、「うん」
お、「これ、すごい仏師さんが彫ったのかな」
私、「そう思うの?」
お、「だっておなもみ、これ、すごいなーって思うもん」
私、「そう~~、気に入ってるのね」
お、「うん☆」
そしてまた、仏様を、じ~~~~~。
ほんとうに、その気に入りようは半端ではありません。
仏様、いただくことができてよかったです。
仏様も、喜んでくださっているでしょうか。
おなもみが欲しがらなかったら、この仏様はずっとお寺の本堂で箱にしまわれたまま
いらっしゃったのでしょうか・・・
そんなことを考えると、なんだか不思議なご縁も、感じます。
なぜお寺の方は、売り物にはできない と思っていらっしゃったのに、見本をガラス
ケースに置いておかれたのでしょうか。
「これをください」 と言った時に、「もう古くて湿気のせいで蓋が開かないし、古びて
いるし」 と開口一番おっしゃったということは、その仏様がそういう状態だということを
ご存知でいらしたということ。
確かに、蓋は一度閉めると開けにくく、お寺でいただいた直後、おなもみが閉めた時
に蓋が開かなくなってしまい、うんともすんとも言わない(?)状態になりました。
「かしてごらん」 とチャレンジした私も、どうやっても開けられません。
「帰っておとうさんに開けてもらおう」 と、あとはタリバン頼み。
風邪ひきでお布団で寝ていたタリバンに、「あけて~~~」 と持っていきました。
さすが男の人ですね、タリバンが何度か蓋を回していたら、蓋が回り始め、開きました。
大の男の人が、相当な力を入れてやっと開いた蓋。
なぜ、あの本堂では、あっけなくあっさり開いたのでしょうか・・・
(「開きますよ、ほら」 と難なく蓋を開けた方は、ご老人というには失礼かもしれませんが、
お見かけ初老くらい、力もちには程遠そうな見た目も佇まいも繊細な方)
あの時蓋が開かなかったら、この仏様をいただくことはなかったでしょうね。
それを思うと、また不思議にも思えます。
ほんとうに、こういうのをご縁というのでしょうか。
今は、蓋は、ぎゅっと締めないよう、軽く合わせるだけにしています。
そのうちおなもみが、番いの部分を、きれいに蓋が閉まるようになおすと言っています。
ありがたいご縁でうちに来ていただいた仏様。
おなもみがそのご縁を真底喜び心通わせている仏様。
この仏様をいただくにあたってのすべての流れ、その日の出会いとその時の空間
だけではない、そこに至るまでの見えない次元でのお引き合わせにも、心静かに
深く感謝をしている私です。
いのちの島=屋久島は >>こちら